野々村直通の経歴(高校・大学)は?娘や部員・生徒との関係は?

野々村直通の経歴(高校・大学)は?娘や部員・生徒との関係は?

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3月18日のテレビ朝日系列の「激レアさんを連れてきた。」に、野々村直通さんが出演されます。

これまでの経歴や風貌から、「ヤクザ監督」と呼ばれ、独特の教育論をもっておられます。

しかしそんな教育論を持ってして、高校の野球部を何度も甲子園に連れて行っているという実績も持っておられます。

そんな野々村直通さんとはどんな人なんでしょうか。

検索のサジェストに「娘」と出てきますが、どんなエピソードがあるのでしょうか。

また、独自の教育論に迫っていきたいと思います。

野々村直通さんの経歴(高校・大学)

プロフィール

氏名 野々村直通(ののむらなおみち)

生年月日 1951年12月14日(67歳)

出身地 島根県雲南市

学歴 島根県立大東高校→広島大学教育学部美術科卒

赴任歴 広島県立府中東高校→松江日本大学高校→松江第一高校(現開星高校)

甲子園出場歴 センバツ 府中東 1回  開星 2回
選手権 松江第一・開星 7回

現職業 画家・教育評論家

 

もともと伯父さんが西陣織の下絵書きをする芸術家だったこともあり、その影響で幼いときから絵を描いていました。

高校こそは普通科の島根県立大東高校に進みますが、絵の腕はメキメキと上達し、広島大学では美術科を専攻します。

そして、広島大学卒業後は、高校で美術教師を歴任してきました。

 

それと時を同じくして、野球部の監督にも就任。

プロフィールに書いてあるとおり、赴任する学校で次々と甲子園へと導きます。

しかし、時として極端な言動が騒ぎを起こすことに。

2010年のセンバツでは、21世紀枠で出場の高校に初戦で破れ、試合後のインタビューで「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。切腹して死にたい」と発言し、問題となりました。

それをきっかけとして一時野球部監督を離れていましたが、復帰を願う署名などがあり、2011年に野球部監督に再就任。

その後、2012年には定年退職をします。

退職後は、教育評論家として活動を始めます。

 

野々村直通さんと娘さんとの関係は?

こういう物議を醸しやすい風貌と物言いから、多くの反応や誤解が生じてきました。

ある番組内で、最近の教育問題が話題となっていたときのことです。

野々村直通さんは娘さんを叱った時のエピソードを話し始めました。

次女さんが小学3年生の時のことです。

何が理由かはわかりませんが、野々村さんはその次女さんの髪をつかんで自宅のリビングを引きずり回したというのです。

しかし、その次女さんは、「私はモップになった」と冗談めかして振り返るだけなのです。

 

このように、その次女さんはそのせいでグレているとは言えないのです。

そのことを示す別のエピソードもあります。

「切腹」発言で騒動になっていた時、家族の様子はどうだったか、奥さんにインタビューされている記事がありました。

あの時、家族は4人揃って「わんわん泣いた」ということなのです。

その中にも次女さんが入っています。

つまり、お父さんのことが心配で、騒動がつらくて、泣いていたんです。

お父さんのことを嫌っていなかったことは明らかですね。

 

長女のまり子さんも、まっすぐに成長しておられる様子が分かる記事もありました。

野球部監督を退任される時、なんと声を掛けるかと尋ねられると、

「プレゼント代わりに金刀比羅宮に家族旅行に連れていきます。何か物も贈ろうかな。でも、金とか赤とか派手なものじゃないと… 悩み中です」

と答えておられます。

 

ご自宅の教育に関しては、功を奏していることがわかるのではないでしょうか。
 

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野々村直通さんの監督としての部員との関係は?

 

野々村さんは、教育評論家として、各地で講演も行ってこられました。

そのときには、「時代にそぐわないかもしれないが、教育には体罰も必要」と熱弁されます。

叩くことが一概に暴力とは言えず、揺るぎない情熱で子どもたちに向き合えば、しかることの意味が伝わると述べると、講演会場は大喝采に包まれると言います。

野々村さんの持論は、「その時々を本気で向き合うことが大切」というものなのです。

そして、若者に伝えたい言葉は、「逃げるな!ぶれるな!群れるな!」だそうです。

 

野々村さんは、生徒と全力で真剣に向き合う、その結果、一つの手段として体罰があるということを述べておられるように思えます。

そうすれば、気持ちは伝わる、それがない体罰はやはりやっちゃいかん、という意見を述べておられます。

 

その信念が確かであることを示す一つの言葉があります。

横浜DeNAベイスターズの梶谷隆幸選手です。

この梶谷選手は、野々村監督の指導を受けてきた一人です。

その梶谷選手は、野々村さんに関してこう述べておられます。

「監督はとにかく負けず嫌いで信念の人。負けたことがよっぽど悔しかったんでしょう。監督にはいつも命がけでバッターボックスに立てと言われてきました。どんな風に言われようと、僕にとって野々村監督は一生の尊敬する恩師です」

https://number.bunshun.jp/articles/-/231155より引用

 

と慕われるほど、やはり、子供に対して真剣に向き合えば伝わるんだなと思わせる一つのエピソードです。
 

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まとめ

「野々村直通のプロフィールや娘との関係は?破天荒な教育論とは?」として書いてきましたが、

  • 甲子園に合計10回出場している、熱血漢の監督であった
  • 娘を引きずり回したという体罰を行なっても、グレたりはしない、親思いの子に育っている
  • その時その時を必死に、懸命に、体当たりで向き合えば、心は通じ合うもので、その中に体罰が含まれても心の絆は切れないという持論を持っておられる

ということが分かりました。

 

よくよく聴いてみると、すごくまっとうなことを言っていらっしゃるのかなという印象を受けました。

皆さんはいかがでしょうか。

次回の放送でもどんな教育論を聞けるのか楽しみです。

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