眉村卓の経歴や代表作は?妻に捧げた1778話の後日談(裏話)とは?

眉村卓の経歴や代表作は?妻に捧げた1778話の後日談(裏話)とは?

スポンサーリンク

4月26日の「爆報!THE フライデー」で、眉村卓さんが取り上げられます。

根っからのSF作家で、オジさんたちであれば非常になつかしい名前と感じられる方も多いのでは。

その眉村卓さんが、病床に伏せっていた妻に向けて、1778話のショート・ショート作品を毎日読ませていたというのは割と有名な話かもしれません。

1年半ほど前にカズレーザーさんがその1778話に言及され、再び反響を読んだこともあります。

では、眉村卓さんとはどんな方なんでしょうか。

1778話のショート・ショートにどんないきさつや後日談があるのでしょうか。

見てみましょう。

(アイキャッチ画像はhttps://www.shinsaibashi-daigaku.jp/staff/mayumura.htmlより引用)

眉村卓さんの経歴

 

プロフィール

氏名 眉村卓(まゆむらたく)

本名 村上卓児(むらかみたくじ)

生年月日 1934年10月20日(85歳)

出身地 大阪府大阪市西成区

学歴 大阪府立住吉高校→大阪大学経済学部卒

職歴 大阪窯業耐火煉瓦株式会社→株式会社大広→小説家

 

眉村卓さんは、はじめから作家を目指していた方ではないんですね。

株式会社大広の嘱託コピーライターを務めつつ、1961年には「下級アイデアマン」という作品が、「第1回空想科学小説コンテスト」に佳作入選し、デビューすることになります。

そして、1963年には、大広を辞め、作家一本で勝負されます。

長い下積み期間を経て、1979年には、「消滅の光輪」で第7回泉鏡花文学賞と、星雲賞を受賞されました。

眉村卓さんの奥さんと娘さんについて

眉村卓さんの奥さんは、村上悦子さんと言います。

眉村さんと悦子さんは高校の同級生でした。

しかし、一度も同じクラスにはなったことは無いそう。

教科によって時々同じ教室になった程度でした。

 

そして、お二人は24歳で結婚。

家で眉村さんが家事を手伝おうとすると、「そんなことしてないで原稿を書いて」と奥さんは叱ったそうです。

眉村さんが根っからのSF作家なら、奥さんは根っからの「作家の」奥さんということになりますね。

 

そんなお二人の間に、知子さんという娘さんが生まれます。

知子さんは、お父さんの血を継いだのか、同じ作家としての道を歩んでおられます。

スポンサーリンク

眉村卓先生の代表作

眉村卓さんは、ジュブナイル小説と言って、主に10代に向けた作品を多く執筆されました。

その中で、押しも押されもせぬ代表作と言えば、

  • なぞの転校生
  • ねらわれた学園

がありますよね。

一定の年以上の方でしたら、聞いたことがかならずあると思います。

というのは、これらは、NHKの「少年ドラマシリーズ」などでテレビドラマ化されたことがありますし、

また、「ねらわれた学園」は、大林宣彦監督の元、薬師丸ひろ子主演で1981年に映画化され、ヒットします。

 

筆者もこれらの作品を中学生の時に読みましたが、非常に面白かったですね。

ちょうど学校が舞台となっていて、自分の学校と投影することができ、あっという間に読み終わった記憶があります。

この2冊をきっかけに、眉村卓ワールドに引き込まれた経験があります。

 

眉村卓先生の本に特徴的なのが、一冊に2話収容されることが多いことです。

その2話目が、さらにSF全開の作品で、本当にSFに癖になりましたね。

いわばB面作品ですから、よりのびのびと眉村卓先生は書かれていたのではないでしょうか。

 

「妻に捧げた1778話」の後日談

これは、眉村卓さんの奥さん、村上悦子さんががんで余命1年を宣告されたときから、奥さんに読ませるために毎日毎日書かれたショート・ショート作品です。

始めた理由は、「笑うことで免疫を上げるため」と言っておられますが、実のところ、奥さんのためにできることがなかったからだとも述べておられます。

奥さんは、時分の病気のために眉村卓さんが仕事をしなくなるのを嫌がっていたそうで、「毎日書くから読んでくれないか」と書き始められました。

書いている時は、眉村さんも「作家」に戻ることができ、娘・村上知子さんも「お父さんは、書いている間は逃避できたのかもしれないね」と言っていました。

 

奥さんが亡くなる最終話は、「いかがでしたか?長い間、ありがとうございました。また一緒に暮らしましょう」と結んでおられるのです。

 

余命1年と告げられた悦子さんでしたが、5年間生き延びられ、そのショート・ショートは1778話を数えることになりました。

悦子さんが亡くなられた後、葬式式場の看板には、「作家眉村卓夫人 村上悦子」となっていました。

これは、無くなる前に悦子さんご自身が希望されたことでした。

 

一方、眉村卓さんの方は、娘さんの村上知子さんによると、この「妻に捧げた1778話」について、「世界でただ一人の読者のために書き続けた」と言っておられるように、病床にいる奥さんのために渾身の力を込めて書いていかれたものでした。

しかし、眉村さんはこうおっしゃっておられます。

「僕は妻を励ますために書いていたと思ったが、本当は妻が僕を励ましていた」

 

2人3脚で歩んでいくとはよく言いますが、このご夫婦の歩みは、まさにそれではないでしょうか。

眉村卓さんにとって、一番のファンは妻・悦子さんであり、一番の批評家も悦子さんだったのでしょう。

そういう二人の歩みが、最終話の「また一緒に暮らしましょう」につながってくるんだと思います。

 

この感動的なエピソードは、草彅剛さん、竹内結子さん主演の「僕と妻の1778の物語」という映画になっています。

眉村卓さんによると、妻は「私のおかげで映画になった」と威張っているかもしれない、とのことを述べておられます。

スポンサーリンク

 

まとめ

長年添い遂げるということを全うすることが少なくなってくる今日、本当の夫婦とはどういうものか、この眉村卓さんと悦子さんのエピソードは私たちに語りかけてきます。

SF作家として名を挙げられた眉村卓さんですが、その陰には、悦子さんの献身的な支えと共に、叱咤激励があったのかもしれません。

その2つは、どちらが欠けてもいけないものだと筆者は思います。

最近いい話を聞いてないな~、と思う方は、「妻に捧げた1778話」を読んでみられるのはいかがでしょうか?

スポンサーリンク

 

 

テキストのコピーはできません。