平生拓也の現在!家族(嫁・子供)は?ドラフト指名漏れしたのはなぜ?

平生拓也の現在!家族(嫁・子供)は?ドラフト指名漏れしたのはなぜ?

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今盛り上がる第91回センバツ。

今年は投手が豊作だと言います。

注目投手はプロを目指すべく、必死の投球が続きます。

そんな中、センバツでスゴい印象を残したなか、ドラフト指名漏れする選手もいます。

今日は、そのような選手だった、平生拓也元投手に迫ってみたいと思います。

平生拓也元投手の現在や家族、ドラフト指名漏れしたいきさつなど、探っていきます。

(アイキャッチ画像はhttps://www.asahi.com/articles/ASL4J43HJL4JONFB00K.htmlより引用)

平生拓也のプロフィールと現在

平尾拓也

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00000141-spnannex-base.view-000より引用

 

プロフィール

氏名 平生拓也(ひらおたくや)

生年月日 1990年10月6日(28歳)

学歴 伊勢市立小俣(おばた)中学校→三重県立宇治山田商業高校

野球歴 一之瀬イーグルス→小俣スポーツ少年団→三重県立宇治山田商業高校→西濃運輸

現職業 伊勢市消防本部

 

センバツでは、最速153kmを投げた豪腕ピッチャーでしたが、その年のドラフトにおいてプロ志望届を出したにもかかわらず指名漏れを経験し、西濃運輸に進みます。

しかしその後、西濃運輸もやめ、2014年から伊勢市消防本部で勤務するようになります。

現在は、伊勢市消防本部消防署二見出張所で勤務しておられます。

なぜこの職業を選んだのでしょうか。

 

平生さんが高校二年の時、お母さんが自宅で倒れたことがありました。

その時に、消防士に助けてもらったという経験をされます。

ご本人はこう述べておられます。

「高校のとき、家に帰ったらおかんが倒れてて、救急車を呼んだときに来てくれた隊員の人がカッコよかった。こういう仕事もあるんやなと。」

https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_867085/?p=3より引用

 

さらに、中学時代の職場体験で、消防士を体験し、憧れていた仕事だったと言います。

今は、厳しい職場環境で、緊張する場面にしばしば遭遇する仕事ではありますが、やりがいと感じている日々だそうです。

 

ご本人の言うには、「自分は自分で伊勢市に恩返しができれば」と、健気なことを言っておられます。

 

平生拓也さんの家族(嫁・子供)は?

いろいろ調べてみましたが、平生拓也さんの結婚の情報や、子供についての情報は出てきませんでした。

まだ28歳とお若いですから、結婚はこれからかもしれませんね。

写真を見ても、非常に真面目で実直そうなお人柄に見えます。

早くよいパートナーを得て、支えてくれるご家族ができればいいなと思いますね。

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ドラフト指名漏れしたのはなぜ?

平生拓也さんは、3年生の春、2008年のセンバツに出場します。

2回戦の相手は、千葉県の安房高校。

3回1アウトから、相手高校の4番打者に投げたボールが、記録を出すこととなりました。

その初球が、センバツ最速の153kmを計測します。

「まさか出るとは思ってなかった。球速表示が見えた瞬間『えっ!』と思って、続いて『うおおーっ!』という歓声が聞こえた。試合が負けてたんで、それどころじゃなかったですけど」

https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_867085/より引用

その153kmは、11年たった今でも、破られていません。

そんな、豪腕ピッチャーとして鳴らした高校野球でした。

 

しかし、そのセンバツの後、故障に苦しむようになります。

 

地元に帰ってすぐのこと、腰痛が出るようになりました。

さらに、同じ年の夏の予選中に、右内転筋の肉離れを起こしました。

チームは県大会決勝まで進みますが、西勇樹(現阪神タイガース)擁する菰野高校の前に、2-5で敗れました。

 

その年、西投手とともに、プロ志望届を出します。

西投手はオリックスから3位指名されましたが、平生投手は最後まで指名されることはありませんでした。

阪神タイガースからは、ドラフト3位か4位で指名するという話があったそうですが、それはかないませんでした。

プロ球団は、このケガを重く見、ピッチャーとして活躍するには良くないケガと見たんだと思います。

このケガさえなければ、今はプロでも注目される豪腕ピッチャーだったかもしれません。

 

指名漏れした後、西濃運輸に進みます。

しかし、またもや平生投手に試練が訪れます。

また肘のケガに悩まされたのです。

結果、公式戦に1回も出場することなく、4年弱で退社することになりました。

社会人経験後のプロ入りも夢となった瞬間でした。

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まとめ

3年春のセンバツの状態を保てていれば、プロ入りも夢ではなかったかもしれません。

しかし、度重なるケガに襲われ、その夢はかないませんでした。

それでも、甲子園からは宝のような財産を得ました。

「佐賀北戦まではがむしゃらに投げていただけだったけど、負けてから練習でも一つひとつ意味を考えるようになった。今の仕事も救助や火を消す方法は一軒一軒違う。考え方の引き出しをたくさん持った方がいい点はつながっている」

https://www.asahi.com/articles/ASL4J43HJL4JONFB00K.html

 

人生の教訓を得た甲子園。

その後、地元伊勢市に貢献したいという気持ち。

その気持を忘れずに、これからも過酷な現場に立ち向かっていってほしいと思います。

できるだけ長くセンバツ最速ピッチャーの名を残しながら。

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